2019年5月16日、文芸評論家の加藤典洋さん(71歳)がお亡くなりになりました。
好きな評論家の一人だったってこともあるけど、とても残念です。
思い出を語るほど精通はしていませんが、加藤典洋さんのことについて少し書いてみたいと思います。
※アイキャッチ画像出典:朝日新聞DIGITAL
文芸評論家の加藤典洋さん逝去
ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ
加藤典洋さんの評論集のひとつに『ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ』という著作があります。
フィッシュマンズファンなら思わず反応してしまうタイトルですが、アルバム『宇宙 日本 世田谷』の1曲目「POKKA POKKA」の歌詞の一節です。
個人的な思い出でいうと、フィッシュマンズ好きの友だちの女の子から、「これ見てー!」とこの本の写メが送られてきたことがありました。
(大学の図書館でたまたま見つけた!って。もう15年くらい前の話ですけど)
で、それ見てこの本を買ったのか、それ以前からすでに持ってたのかちょっと忘れたけど、この加藤典洋さんの『ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ』は家の本棚に今もあります。
ちゅうか、Amazonプライム価格76,000円ってぼったくりバー並みですやんか。
(他店舗を見ると、普通に380円からありました)
つーか、こんな本もありました。
(横帯にフィッシュマンズやじゃがたらの名が!)
これは未読でした。
町田康より、町田町蔵を
あと、これはどこで読んだのか記憶が定かでないけど、サブカルチャー、オルタナティヴロックなんかの造詣も深かった加藤さんが、どっかで「町田康じゃなく、町田町蔵を伝えていかないといけない」みたいなニュアンスのことを書いてました。
(記憶だけを頼りに書いてるけど、たぶんそんな文章があったはず。間違ってたらごめんなさい)
というわけで、昨日、久しぶりにYouTubeでINUの動画を検索してみたら、関学の学祭のやつ、フルで上がってますやんか。
当時、18歳の町田町蔵氏のパンクぷりを体感できます。
おすすめというか、個人的に好きなのが、「おっさんとおばはん」の前のMCというか客との絡み。
客「死ぬまで行けやー!」
町蔵「死ぬまで行ったら死ぬやないか、阿保」
ってとこ、好きww
あと、「インロウタキン」の前のMCもおもろい。
例のごとく、観客とケンカ調にからみ、どんどんテンション上げていって「早よ、帰れや!!!」と激昂した後の、へりくだった調子で「次の曲やります〜」の予定調和感ww
緊張と緩和ですね。
って、うれしそうに書いてたけど、加藤典洋さんについての記事やった。
テクストから遠く離れて・小説の未来
頭が悪いので読んだ本のことはきちんと覚えていないんですけど、『テクストから遠く離れて』の阿部和重『ニッポニアニッポン』の考察がおもしろかった。
ちゅうか、今久しぶりに本開いたら、町田康の『くっすん大黒』も批評されてた。
そのタイトルが「毎日ぶらぶら遊んで暮らしたい」。
あと、大江健三郎の『取り換え子(チェンジリング)』の考察もおもしろかったんだけど、それを読んだ大江健三郎が勝手なこといいやがって!と怒って(?)、たしか作品内で反論してたのがおもしろかった。
って、書いててちょっと思い出してきたけど、たしか『取り換え子』の続編の『憂い顔の童子』で、『取り換え子』の中で出てくる「アレ」の場面で塙吾良がカマを掘られたって指摘を加藤典弘がしてて、作品の中で古儀人(大江)が怒って否定するというやつ。
って読んでない人はなんのこっちゃわからんと思いますが、伊丹十三がモデルの塙吾良が…って説明しようと思ったけど、けっこう長くなりそうというか、面倒なのでやっぱりやめときます。
で、本題に戻ると、誰かが昔、作家は作品の中でしか反論ができないって言ってたけど(って、これ言ってたのが大江健三郎だったかもしれん)、まさにその実践というか、作中でドン・キホーテにも言及してるけど、まさにそんな感じになってて面白かった。
さいごに
加藤典弘さんのご逝去は残念ですが、ニュースを見て、著作を手に取ったら、久しぶりに読んでみたくなりました。
みなさんも、機会があればぜひ読んでみてください。