作家

太宰治と中原中也の出会い、関係は?檀一雄の著作からエピソードを探る

太宰治 中原中也 エピソード

 

国語の教科書に載るような文豪も、一人の人間。

とくに無頼派と呼ばれた戦前・戦後の作家はむちゃをやっていましたが、そうした文豪同士のエピソードってけっこうおもしろいですよね。

今回は、お酒が入ると暴れることで有名な中原中也と、それに絡まれる太宰治のお話です。

太宰治と中原中也のエピソード

太宰と中也の年の差

中原中也

  • 進学生没年 1907年(明治40年)4月29日 – 1937年(昭和12年)10月22日
  • 出身地 山口県

太宰治

  • 生没年 1909年(明治42年)6月19日 – 1948年(昭和23年)6月13日
  • 出身地 青森県

中也の方が2つ上ですが、ほぼ同年代の二人。

中也は大学進学をめざして1925年に状況、太宰はその5年後の1930年に大学進学のために東京にやってきます。

地方出身の二人ですが、ほぼ同じ時期に東京で過ごしていたんですね。

太宰と中也の共通の知り合いである檀一雄

太宰と中也の共通の知人であるのが、『火宅の人』などの著作で有名な檀一雄。

同じく、生没年を記すと…

檀一雄

  • 生没年 1912年(明治45年)2月3日 – 1976年(昭和51年)1月2日

二人よりも少し年下で、早世した人が多かった無頼派作家の中では長生きし、戦後に太宰や中也とのエピソードを小説やエッセイで数多く残します。

女優の檀ふみさんのお父さんとしても有名ですよね。

ちなみに、1934年(昭和9年)、太宰治、中原中也、檀一雄、森敦らは『青い花』を創刊

『青い花』は1号限りで終わりますが、このことからも彼に交流があったことがわかります。

余談ですが、森敦は戦後、『月山』で芥川賞を受賞しますが、そのときの年齢が62歳でした。

蓮見重彦が絶賛した黒田夏子が2013年に75歳で芥川賞を受賞しますが、そのときに破られるまで、森敦の62歳は芥川賞の最高齢受賞記録でした。

で、話が少しそれてしまいましたが、そんな檀一雄の著作から、太宰治と中原中也のエピソードをいくつかご紹介します!

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酒屋で中也にからまれる太宰

冒頭に出てくる「おかめ」は、当時落合に住んでいた檀一雄の家から程近い場所にあるおでん屋さんです。

このときの会合が

――寒い日だった。中原中也と草野心平氏が、私の家にやって来て、ちょうど、居合わせた太宰と、四人で連れ立って、「おかめ」に出掛けていった。

初めのうちは、太宰と中原は、いかにも睦まじ気に話し合っていたが、酔が廻るにつれて、例の凄絶な、中原の搦みになり、「はい」「そうは思わない」などと、太宰はしきりに中原の鋭鋒を、さけていた。

しかし、中原を尊敬していただけに、いつのまにかその声は例の、甘くたるんだような響きになる。

「あい。そうかしら?」そんなふうに聞こえてくる。

「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。全体、おめえは何の花が好きだい?」

太宰は閉口して、泣き出しそうな顔だった。

「ええ? 何だいおめえの好きな花は」

まるで断崖から飛び降りるような思いつめた表情で、しかし甘ったるい、今にも泣き出しそうな声で、とぎれとぎれに太宰は云った。

「モ、モ、ノ、ハ、ナ」云い終って、例の愛情、不信、含羞、拒絶何とも云えないような、くしゃくしゃな悲しいうす笑いを泛べながら、しばらくじっと、中原の顔をみつめていた。

「チェッ、だからおめえは」と中原の声が、肝に顫うようだった。

そのあとの乱闘は、一体、誰が誰と組み合ったのか、その発端のいきさつが、全くわからない。

少なくとも私は、太宰の救援に立って、中原の抑制に努めただろう。気がついてみると、私は草野心平氏の蓬髪を握って掴みあっていた。それから、ドウと倒れた。

「おかめ」のガラス戸が、粉微塵に四散した事を覚えている。

いつの間にか太宰の姿は見えなかった。

私は「おかめ」から少し手前の路地の中で、大きな丸太を一本、手に持っていて、かまえていた。中原と心平氏が、やってきたなら、一撃の下に脳天を割る。

その時の、自分の心の平衡の状態は、今どう考えても納得はゆかないが、しかし、その興奮状態だけははっきりと覚えている。不思議だ。あんな時期がある。

幸いにして、中原も心平氏も、別な通りに抜けて帰ったようだった。古谷綱武夫妻が、驚いてなだめながら私のその丸太を奪い取った。すると、古谷夫妻も一緒に飲んでいたはずだったが、酒場の情景の中には、どうしても思い起こせない。

出典:檀一雄『小説太宰治』

この同じ情景が『太宰と安吾』というエッセイ集にも載っています(初出は、昭和23年9月・「太宰治全集」(八雲版)月報第二号)。

ちょっとした挿話として紹介されており、分量は上の引用の3分の1ほど。

『小説太宰治』の引用部分にない話としては、太宰と中也は初対面で、このときの「おかめ」が初めてだったそうです。

それにしても、「青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって」はひどいですねw

どんなんやねんっていうのもあるけど、恥ずかしそうにおどおどしている太宰の顔も浮かぶようで、微妙にわかるところもちょっとおもろいww

てか、その流れで「好きな花」聞くのもどうなんよって感じですが、後年「桜桃」という小説を書きますが、太宰は桃の花が好きだったんですね。

>>青空文庫「桜桃」







酔った中也に寝込みを襲われる太宰

また別の日、酒の場で中也にからまれて逃げ帰った太宰を追う、中也と檀一雄。

(檀は、中也を制する立場)

太宰宅につくと、奥さん(内縁の妻)の初代が「いま眠っています」という対応を無視して、「起こせばいいじゃねえか」と枕元にまで上がり込む中也。

見かねた檀一雄が中也を外へ引っ張り出し、雪の中へ中也を投げ飛ばします。

そこで中也が一言、「わかったよ。おめえは強え」。

中也は酒乱で、酒で暴れたエピソードは枚挙にいとまがありませんが、ケンカは弱かったみたいですね(笑)

文豪ストレイドッグスでの太宰治と中原中也

文豪ストレイドッグスは見てないので正直わからないのですが^^;、中也と太宰は、

  • 元相棒
  • お互い嫌いなものに相手の名前を挙げている

という設定だそうです。

その他、いろいろとあるのですが、それを説明しようと思うと作品についてもいろいろ触れないといけないので、ここでは割愛します^^;

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まとめ

例の初対面の酒の席があった後、太宰は中也のことを称して、「ナメクジみたいにてらてらした奴で、とてもつきあえた代物じゃないよ」と言い放ち、拒絶するようになります。

一方で、中也の死に対して太宰は「死んで見ると、やっぱり中原だ、ねえ。段違いだ。立原は死んで天才ということになっているが、君どう思う?皆目つまらねえ」と才能を惜しんだといいます。

相互に、「青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって」とか「ナメクジみたいにてらてらした奴」とか言い合ってるところが面白いですが、

それが文豪ストレイドッグスの「お互い嫌いなものに相手の名前を挙げている」設定につながっているのかもしれませんね。笑